ポール・モーフィーを嗜む | Paul Morphy

1年半の短いキャリアでありながら、同時代の最高であるばかりか、全時代を通じても最も偉大なプレーヤーかもしれない。早くにチェスを退き、チェスを憎み、狂気の末に亡くなった悲劇の天才、ポール・モーフィーは1837年6月22日にニューオーリンズで生まれ、1884年6月10日に当地で亡くなった。
 謎に包まれた伝説のプレーヤーは名局の山を築いたが、相手との差がありすぎたために真の強さが未だに分からない。ボビー・フィッシャー:「モーフィーはおそらく今までで最も正確なプレーヤーだ。今日の誰もかなわない」。ルーベン・ファインは、小柄なボクシングのヘビー級世界チャンピオン、ジョー・ルイスにたとえている。

 モーフィーは、ロマンティックなコンビネーションに現代的なポジショナル・プレーを加味した。フィリドールのようにゲームを論理的に構築し、堅実な陣形からコンビネーションを繰り出した。「ピースを助ければピースが助けてくれる」。彼の相手が仕掛ける攻撃はむなしく空回りした。
 モーフィーは、堅実に組み上げた陣形には無理攻めが効かないことを分かっていた。先に相手の陣形を崩させてから、アンデルセンに匹敵するコンビネー ションで反撃する。最終的には派手で豪快な攻撃を見せるが、基本的には古典的で 純粋な棋風である。
 マックス・エイヴェは『棋風の発展(Development of Chess Style)』で述べている。「モーフィーは、攻撃と同じくらい防御にも優れていた。他のプレーヤーは攻撃に比べて防御が下手で、関心も低い。モーフィーは同時代の誰よりも局面を全体的に把握していた」

水野優のブログ~チェストランス出版より

チェスの偉人となると必ず名前を聞く事になるであろう、全国の音楽室に飾られていそうなこちらの方はポール・モーフィーさん。1837年生まれ。2026年現在も存命だったら190歳である。初代チェス世界チャンピオンのヴィルヘルム・シュタイニッツが1836年生まれなので同時期に活躍した方である。特筆点としてはチェスが盛んだったヨーロッパ生まれのシュタイニッツに対してモーフィーはアメリカ生まれという点だろうか。現代ではなかなか見ない髪型である。

ほどなくしてヨーロッパに渡り圧倒的な実力を披露してその名を広めた。後に故郷アメリカに戻った後は精神病を患ったというが、残された棋譜がどの時点の物なのかも興味深く見てみたい。

ちなみにボビー・フィッシャーは1943年生まれで、(今も存命なら83歳)そのボビーはモーフィーの棋風にかなりの影響を受けていたとの事である。

噂に聞くその棋風とやらはダイナミックな攻撃、天才的なといった事が言われている。インターネットなど無い、情報の限られた時代にも関わらず驚くべき先進的な指し回しをした方だという。モーフィーの棋譜は数々残っており、音楽家の楽譜のごとく研究の対象とされているようです。そんなモーフィーの棋譜を紹介しながらその時代の雰囲気に触れて頂ければと思います。

Game1: Paul Morphy – Alexander Beaufort Meek 1-0 (1857)

黒番ミークが両サイドをフィアンケットし白番は中央に駒を固めるお互いが変身ポーズを取ったような面白いオープニング。なのにフレンチ・ディフェンスにあたるという珍しい形。すぐにモーフィーはキングサイドキャスリングを発端にキングサイドから怒涛の突破を狙う。最後の手以降、白のモーフィーは3手メイトで勝利する。この3手メイト、皆さんはすぐに分かりますか?(私は分かりませんでしたw)是非最後まで進めてみて下さい。斜め斜線を絡めるメイトって分かりにくくないですか?

※このゲームに対する海外のコメント

ミークが自分の指し手で投了したのは実に興味深い。彼はその指し手の結果が3手詰みになることを予見していたのだ。

(というコメントに対し)

ミーク自身が投了したのではなく、モーフィが3手詰めを宣言した可能性が高いでしょう。当時は、最後まで指すのではなく、話し合いでゲームに勝つことが許されていました。このルールは1870年代か1880年代に廃止されたと思います。少なくとも1つのゲームで、相手が間違った手詰めを宣言したにもかかわらず、相手がそれを信じてすぐに投了したという話を読んだことがあります。
https://www.chessgames.com/perl/chessgame?gid=1293213

Game2: Paul Morphy – Adolf Anderssen 1-0 (1858)

対戦相手アドルフ・アンデルセンはドイツのチェスの名手。初代チェス世界チャンピオンのシュタイニッツなどと同時期に勢いのあったプレイヤーで一時期は非公式ながら世界チャンピオンだったとの事。本ゲームはフランスで行われたアンデルセン対モーフィーのゲームの第11試合目。総合でアンデルセンはモーフィーに2勝2分7敗で敗れている。Game1と同様にフレンチ・ディフェンスで始まり似たような展開になる。モーフィーはキングサイドからの突破が強力に働き、終盤は見事な駒交換を進めて有利な形に収め、モーフィーが勝利した。

私が驚いたのはモーフィーが猛烈に攻撃を重ねていた最中、突然29.Kf2とした事。敵の城が今にも陥落しそうな時に自軍の王がひょいと城から飛び出したという場面。これはなぜかというと最後はポーン同士の対決になるのを見越して敵ポーンの進軍を防ぐ為、このタイミングで先手を打った為だという。う~ん凄い。

※このゲームに対する海外のコメント

アンダーセンはオープニングをかなり超現代的な方法でプレイしています。g6、Bg7、c5 の動きは、一種のフレンチ/グリューンフェルドディフェンスのハイブリッドに似ています。

学ぶべきことの一つは、決してテンポを無駄にしたり、作品の調整を乱したりしないことです。このゲームでは、フィッシャー風の敵の良い駒の除去、カルポフ風のコントロール、カスパロビッチのキングサイド攻撃の構築が、カパブランカの優雅さ、シンプルさ、容易さで行われています。
https://www.chessgames.com/perl/chessgame?gid=1019049

Game3: Paul Morphy – Henry Bird 1-0 (1859)

私が参照しているモーフィーのゲームはchessgames.comで見ていますが、そこには1848年から1869年までの21年間のモーフィーがプレイした457ゲームが収録されています。モーフィーはそのうち84.2%もの勝率を挙げています。※一部エキシビションマッチやブリッツ戦を除く

モーフィーは1837年生まれなので11歳から32歳までの期間となります。47歳で亡くなっているので晩年はあまりチェスを指していなかったのでしょうか。

ゲームの記録を見ていると1859年前後など20代前半の時期が全盛期だったのかなと感じます。このGame3も22歳のモーフィーがヨーロッパを巡っていた時期でロンドンでのゲーム。おそらく5人を相手にした多面指しの一局で、5人はトップマスターだったとの事。※Simul, 5bという表記は多面指しを表してると思われる

さらにモーフィーはこの時期ブラインドチェス(目隠し状態でのチェス)でのゲームも多々あり驚きます。(もちろんブラインドチェスでも勝利を重ねている)下の画像は目隠しチェスをするモーフィー。

Blindfold morphy.jpg
By Unknown author – www.academicchess.org/…/morphy2.shtml, Public Domain, Link

本局はキングス・ギャンビット。モーフィーのお気に入りなのかこの戦法は多く残っています。ダイナミックな攻撃とはまさにこの事をいうのだろうな、といった感じです。剣闘士がバチバチ切りあって最後は静かに終わる・・かっこいい一局です。

以降また興味深いゲームを見つけて加筆します。

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